とんど焼き
興浜では令和5年1月8日(日)午前8時からとんど焼きが行われました。(点火は10時)
(令和3年はコロナ過の為中止、令和4年はコロナ過でしたが規模を縮小して開催。)
興浜は近年、揖保川本町橋の右岸側河川敷でとんど焼きを行っています。現在60~70歳の方が幼い頃は興浜の各町の辻・広場で小規模のとんど焼きを行っていたようです。
一時期なくなっていたが、平成に入ってから再開されたと記憶しています。
婦人会が解散するまでは、豚汁の炊き出しがあり賑わっていましたが、今年はそれもなくなり少し寂しいとんど焼きとなりました。
とんど焼き 『ウィキペディア(Wikipedia)』より
1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。
その火で焼いた餅(三色団子、ヤマボウシの枝に刺した団子等地域によって違いがある)を食べる。
また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくと、その年の病を除くと言われている。
また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると、字が上達すると言われている。道祖神の祭りとされる地域が多い。
民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。
お盆にも火を燃やす習俗があるが、こちらは先祖の霊を迎えたり、そののち送り出す民間習俗が仏教と混合したものと考えられている。
とんど(歳徳)、とんど焼き、どんど、どんど焼き、どんどん焼き、どんと焼き、さいと焼き、おんべ焼き等とも言われるが、
歳徳神を祭る慣わしが主体であった地域ではそう呼ばれ、出雲方面の風習が発祥であろうと考えられている。